金融システムの多重請負構造で働いてきた若手COBOLerの実例

日本のシステム開発は人月という非人間的な見積もりに基づく多重請負構造だ!というのは昔っから言われていることですが、果たして本当なんでしょうか。インターネット上ではよく聞く話だけれど実際に見たことはないし、フィクションの話なんじゃないかと思っている人も多いのではないでしょうか。システム開発の多重請負構造は本当の話です。僕はまさにその多重請負構造の中で働いてきました。

配属先は自社ではなく、違う会社

中小独立系システム会社に就職した僕は、クレジットカードのアクワイアラ(加盟店)業務システムを保守開発している大手独立系システム会社にパートナーの一員として配属されました。就職した年の5月です。学生時代にプログラミングを行っていたため、他の新人よりも一足先に現場へ出ることになりました。社内で研修はありましたが、まるきり素人を相手にしたjavaの演習が2週間あっただけです。それでも、研修があっただけましなのかもしれません。

配属にあたって具体的な説明はなく、単純に「クレジットカード関連の仕事だ」としか伝えられませんでした。具体的な業務内容、開発言語、勤務先の社員……誰が自分の会社の社員で、だれがプロパーなのかパートナーなのかもわからない状態でした。

そもそも、プロパーだとかパートナーだとかという呼び方すら知らなかったのです。

プロパー?パートナー?元請け?下請け?

元請けのことをプロパーと呼びます。元請け会社の社員はプロパー社員です。プロパーは業務を一部切出して下請けに発注します。下請けのことはパートナーと呼びます。パートナー会社は人数が足りないところをさらに切出し、パートナーのパートナーに発注します。

僕が配属されたのは2次請け、つまり「プロパーのパートナー」でした。自社の社員が5名で、さらに「パートナーのパートナー」として3社、あわせて20名程度のチームとなっておりました。この現場では、「パートナーのパートナーのパートナー」、つまり4次請けまで(暗黙的に)許可されていたようです。

システム開発は多重請負構造……就職活動を通して、そういった世界があることは重々承知していました。一方で、そんなものは業界のごく一部、現代社会には既に存在しない過去の遺物なのではないかと思っていたのも事実です。ところが……現実に多重請負構造は現在でも引き続き存在しており、虎視眈々と知識のない若者を食い物にしようと牙を研いでいたわけです。

労働環境は確かに悪かったが、それ以上に未来が見えない

とはいっても、インターネットで見るような壮絶な現場ではありませんでした。
恒常的に残業が発生し、指揮命令権を無視したプロパーからの「お願い」が乱発されました。そんなものは無視すればいいんですが、現場の人間はプロパーも苦労していることを知っているので、無碍にはできませんでした。

労働環境よりも苦しかったのが、全くもって先の見通しが立たないことでした。つまり、自分のキャリアの問題です。今ではいろんなところで言われるようになりましたが、この多重請負構造は早晩破たんします。不況になれば真っ先に首を切られ、違う現場に行こうにもCOBOLなんて糞の役にも立ちません。実際、リーマンショックが起きた際にこの現場からは撤退させられています。

低い給料、限りなく薄くなる自社への所属意識。得たものは巨大なクレジットカード業務の極一部の知識と、わずかなCOBOLとJCLのコーディングスキル、フローチャートの書き方くらい…

これでは先がないと強く思うようになった

学生時代はjavaで開発を行っており、WEBシステムの開発に興味がありこの業界を志しました。このまま現場にいてもWEBの仕事はできそうにないし、培われていくのは今後滅びるのが確実であるCOBOLの知識です。繰り返される残業にもいい加減愛想が尽きてきました。入社して2年目には、金融システムのCOBOLerであり続けることを止めて、WEB開発者として長野県に帰ることを心に決めていました。

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